
こんにちは。
ぐうたら主婦のサユリです。
世間では、保育士の給料が低過ぎるとか、2万円上げようとか話がでているようですが、私の時代から比べればだいぶ上がったな~と思います。
地方でも保育士パートで時給1,000円以上という園が増え、当時からすると信じられないです。それでも「安い」に変わりはないのでどんどん上がってほしい。
今回は、私の社会人1年目の初任給とその暮らしぶりについて書きたいと思います。
ハンカチのご用意を・・・
夢がかなった!幼稚園教諭としてスタート
保育士が足りない今とは大違い。
求人がほんとに少なくて、選ぶことも比べることも出来ないような状況で、どんな園かはわからないけど、とりあえず試験を受けに行くという感じ。
でも私は、どうしても幼稚園で働きたかったので保育園は受けませんでした。
それがたった1つのこだわり。
決まった時は、ホッとしたけど嬉しかったなぁ~
保育の仕事と共に極貧生活がスタート
当時は、その幼稚園の求人票の給与欄を見ても “普通”としか思っていませんでした。もっと安いところもあったくらいですから。「ま、いいか」くらいです・・・
社会人1年目の暮らしぶりはこんな感じ。ただ、記憶違いの微妙な誤差もあると思います。そこはゴメンね。
内訳 | 金額 | |
---|---|---|
家賃 | 46,000 | 駐車場代込み |
電気 | 2,000 | |
水道 | 3,000 | |
ガス | 7,000 | |
車のローン | 15,000 | 地方なので車通勤がほとんどです |
携帯 | 5,000 | |
固定電話 | 2,000 | 園から必要と言われたので権利を買って契約しました |
これで約8万になります。そして私の手取りは・・・
128,000円でしたっっっ!!
お気づきでしょうが、食費は含んでいません。ガソリン代(満タンを2週間に1回)も洋服代も飲み代も。そして保険関係は親でした。
残りの4万円でなんとか生活していたのです(涙)
当時、園でパソコンを使う先生はいなくて事務員だけだったので、私も使っていませんでした。なので、ネット代は入ってません。
もっとお金の勉強が必要だったと後悔しています。
悲しい夏休みの思い出
学生時代は自分のバイト代プラス仕送りだったので、とくにお金に困ったような記憶はないです。バイト代は洋服代に消えていたと思います。
学生生活は同じ目標をもつ仲間に囲まれてほんとに楽しかったです。ようやく好きな勉強ができる嬉しさで授業も退屈ではなかったし、アパートを行き来して遊ぶのも楽しくて。社会人になった途端、真っ逆さま・・・
バイトの貯金なんてすぐに底をつき、給料だけで生活するしかなくなりました。
休みは持ち帰った仕事をこなし、ただ家にいるだけ。
時々、先輩の先生が日帰り温泉や食事に誘ってくれるのだけが楽しみだったような気がします。社会人になったら、今よりワンランク上のおしゃれをしようなんて考えも甘く、おしゃれどころかコンビニすら贅沢でした。
一番悲しかったのが、就職して初めての夏休みに帰省できなかったことです。
親には「仕事で忙しいから」と言いましたが、帰るお金がなかったんです。
高速往復の料金たしか6,000円くらいだったかな~それがどうにも出来なくて・・・
就職したというプライドだったのか「お金がないから帰れない」とは言えなかった・・・
はっきり覚えているのは8月末に通帳の残高が5,000円になったことです。
ここから12月のボーナスまでは必死でしたよ~
どんなお弁当を作っていたんだろ?夕飯に納豆と目玉焼きをよく食べていたような記憶はあります。
楽しくて笑ってばかりいた学生時代から、まったく笑うことのない寂しい生活になってしまいました。
さらに悲しい話
その園では、25歳の時に「次に行こう」と決めて辞めるまで4年間働きました。
辞めた時の手取りが162,000円です。2年目から家賃手当がつき、助かりました。
その後、保育園で正職員として5年間働いたし、市や町の臨時保育士、幼稚園教諭としても働きました。ぐうたら主婦になるまでは15年くらいかな~
何が悲しいって、その・・・
162,000円が最高額ですよ!
朝7時から勤務して帰宅が20時になっても、休日に必死に衣装を作ったって、ファミレスにこもって書類を作っても、使えない公務員をフォローしながら臨時で働いたって、何をしても、どんなに頑張ったって・・・162,000円を超える給料をもらったことがないんです。
それと、その額から市民税は自分で収めに行ってました(涙)
もちろん滞納したこともあります。結婚のお祝いにいただいたご祝儀で滞納分を払いました(涙涙涙)
頑張る?耐える?もうやらない
頑張ればいいことがある・・・
いつかきっといいことがある・・・
今だけ耐えればなんとか・・・
石の上にも三年・・・
何もないからっっっ!
(辛かった思い出と後悔だけは残っています)
今回は給料について書いたけど、お金だけではない辛さの方もたくさん。
保育士も幼稚園教諭も頑張る人多すぎ。真面目な人多すぎ。そして世間知らずな人多すぎ。
↑私もだけどほんとこれ。
そもそも“いいこと”ってなんだろう(笑)
呪文のように言い聞かせていないと、乗り切れなかっただけのような?
私は2万円上がっても、もう戻れない!
「保育士が足りない」と耳にすれば申し訳ない気持ちになるけれど、2万程度上がったからって復帰する保育士はそんなにいないと思うな~
だって、15年も私はその給料で生活していたわけで、続けたい気持ちのある人は今も働いているんだし。
思い出話にお付き合いいただきありがとうございました。
保育の仕事が給料アップと共に、頑張り過ぎずに働ける環境になりますよーに!